オニオングラタンスープ

オニオングラタンスープを作った。

先週サンリオピューロランドに行った帰り道にロイヤルホストで食事をしたのだが、その時メニューで見たオニオングラタンスープがどうしても頭から離れなかったので、これを機に作ってみようと思い立ったのだ。

 

オニオングラタンスープは過程としてはごくシンプルだ。

玉ねぎを切り、玉ねぎを炒め、水とコンソメを入れ、バゲットを入れ、チーズをかけ、焼く。

その気になれば料理経験がほとんどなく、常に豚肉は焼く、鶏肉は茹でるか揚げる、などの対応しかしてこなかった私でもできる。

と思っていたのだが

オニオングラタンスープを作る際の所要時間の配分は以下である。

玉ねぎを切り(5分)、玉ねぎを炒め(40分)、水とコンソメを入れ(0分)、バゲットを焼き(3分)、チーズをかけ(0分)、焼く(5分)。

そう、長時間玉ねぎを炒めることになる。

しかも基本的にはどのレシピも具体的な時間をそこまで書いておらず、飴色になるまでと書いてあることが多い。

 

飴色玉ねぎ、料理をしたことがある人は1度はぶつかったことのある表現かもしれない。

飴色とは何色なのだろうか。なんとなく黒糖ののど飴みたいな色を指すのだろうとは思うものの、具体的な色の塩梅が分からないし、どのようにしたら作れるのかも大して分からない。ただ炒めていたら飴色玉ねぎができると言わんばかりに、飴色玉ねぎというワードがレシピの2段階目くらいで出現する。

 

仕方ないのでレンジで玉ねぎをあたためてから炒め始めたら(こうやると少し炒める時間が短くなるとかいてあった)なんとものの数分で焦げた。

焦げが飴色なのではないかと考えた私はその後も玉ねぎを火にかけ続けたが、一向に玉ねぎは飴色にならない。ただ黒い部分が増えていくだけである。

私はこのあたりで果たして飴色玉ねぎとは焦げなのかという疑問から目を逸らせなくなったので検索すると、どうやら焦げた玉ねぎは飴色玉ねぎではないらしい。

飴色玉ねぎを作るには焦げた部分を取り除き再度炒めなけれならないと知恵袋にはかいてある。

フライパンの中身を改めて見ると6割くらいの玉ねぎは焦げていた。こいつらは一体この玉ねぎ生の中のどのタイミングで飴色になったのだろうか。少なくとも私は見られなかった。悔しいという思いと同時にもう少し飴色になったという主張をしてくれてよかったのではないかと恨みがましくフライパンを睨んだが、食べられないものは食べられないのだ。

仕方ないので焦げた部分を取り除きあらためて炒め直したものの、その日作った半焦げの玉ねぎたちは決して飴色にはなってくれなかった。

 

 

翌日、どうしても食べたかった私は再度オニオングラタンスープ作りにチャレンジすることにした。

複数のレシピと昨日の失敗を改めて総合してみて、どうやら玉ねぎを焦がさないようにするにはとにかく弱火で、触りすぎないよう触る必要があることがわかったので、今回は昨日より熱伝導が悪いフライパンを使い、弱火で、バターも少なめに炒め始めた。

すると、ある時を境に突然玉ねぎが薄い茶色を帯びるようになったのだ。

焦げでもなく、みるみるうちになんともいえない透明感に包まれた茶色になっていく。

少しづつ茶色が濃くなっていく玉ねぎを見ているうちに、カラメルも突然茶色になり、あの茶色を逃すと一瞬で鍋ごと焦げることを思い出した。

私はよくマグカッププリンを作るのだが、その際カラメルは電子レンジで作れると書いてあるにもかかわらずなんとなく怖くて火にかけて作ろうとしては焦がしてカラメルなしのプリンを食べている。

茶色い食べ物は美味しいとよく言うが、茶色というのは長時間目も離さず手をかけて作られたものであるからこそ美味しいのではないだろうか。

そのように手間暇かけたものを手に届く金額で流通させている醤油や味噌の生産者は有難いばかりだなあと思いながら無事完成したオニオングラタンスープを食べていたのだが、結局飴色が何色なのかがわからないことに気づき慌てて調べると以下のようなnoteがヒットした。

 

https://note.com/hakuo416/n/nb1fc3cbb9102?sub_rt=share_b

 

なんと飴色は共通した色を指すわけではないらしい。

良く考えればたしかに何色あろうと色鉛筆でも飴色というものは見た事がないし、物語でも冷やしあめみたいなものを飴色と呼ぶ場合と黒糖ののど飴みたいなものを飴色と呼ぶ場合がある気がする。

そういえばそうだったとは思うのだが、勝手にしろくまちゃんのパンケーキに出てくるふつふつのようにもっと分かりやすい概念だと思ってしまっていたので、拍子抜けした。

でも全員に共通する分かりやすい答えがなくてもいいのかもしれない。日プ女子でトレーナーに自分なりの答えを求められている出演者を見ていたら気が急いてしまっていたが分からないものを分からないで放置するのも大事なのだろう。

そう思ったら昨日は許せなかった飴色玉ねぎのこともまあいいかと思えるようになった。

まあできたオニオングラタンスープがちゃんと美味しかったからというのが1番の理由ではあるのだが。

2023年8月

とうとう週記じゃなく月記になった。

今月はダメダメだったからしょうがない。

そう、ものすごくダメダメだった。

なんでこんなにダメだったのかよく分からないくらいダメだった。

でも度々降ってくる人の訃報とか、何となく自分自身の生活リズムの変化、過度な暑さ、などそういうものが全部上手く噛み合わず最終的に今ベッドから動けなくなっている。

 

8月の頭はまだサマステをやっていた。

少年忍者のサマステに行き、まるで日曜の教会で神について考え信仰を深めるかのように内村をまなざした。

すごく楽しかったけど多分あそこから私の噛み合わなさは始まっている。というかずっと噛み合っていなかったものの信仰を深めまくったことによってパワーバランスが余計に崩れてしまったのだと思う。

今は現場がない、から徐々に戻ると信じている。

サマステが終わったあとは割とずっと元気だった。

うそ、元気なのは3日くらいだったかも。

でもあの3日は相当元気だったね。休職ハイ。

 

そのあとかつきのミラボ公演いって、わっしょいいって、今に至る。

わっしょいは3時間くらいずっとぶちぎれていて、私のどこにあんなエネルギーがあるんだろうと思った。でもココ最近ずっとイライラがとにかく止まらなくてずっとPMSみたいでなんなんだろうっておもってたらこれもうつ症状の一環って知って安心した。こんないらいらして生きていけない。落ち込むことより、絶望することより、イライラすることの方がよっぽどつらい。他人にかけたくないタイプの迷惑をかけるから。

 

そういえば休職というものは思っているより手続きが多い。

し傷病手当はなかなか振り込まれない。

私は実家暮らしの甘ちゃんだから迷わず休職したが、そう簡単に選べない人も多いんじゃないかと思った。

そしてそう簡単に選べない、今の社会保障制度やそれについての認知度の低さがこういう苦しみの連鎖につながっているのだと思う。

私も実家暮らしだけどもうお金ないからすぐ復職する、転職するかはまだ考えてないけどどうにかしたい。

正直生きたいとは思ってないし、死にたいけど死ぬのはリスクが多すぎる。これ以上の生き地獄とか勘弁だし。

だからその辺でぽっくり死ぬまでとりあえず生きることにする。

みんなどうやって生きているんだろう。

 

あ、あとバービーは男の性的欲求は本能ではなくあくまでホモソーシャルにおける権威付けに利用されてることがよく描いてあったのがすごくありがたかった。本能ではない。

 

2023 /07 2週目

先週のブログ書いたはずなのに消えてしまった。

 

今週は割と健やかに過ごせた。

はじめてフォトフェイシャルを打った。

美容医療はやったことないからどきどきしたけどあっさり終わって、そして思いのほか嫌だった。

2日後が一番状態がいいらしいが今のところかなり調子のいい時期が続いている。パックをしているからかもしれないが。

サロンで使える金券が余っているので次はピーリングをしようと思う。

肌がきれいなだけで日常的な負担が減るからかどうにかしようと思える。

 

会社はなんというか、会社だった。私がこんなところに慣れてしまったのは心底悔しいが、慣れてしまったことは否めない。

”社会人”に”なる”気はあんまりないので早いところこの分裂した自我を捨て去りたいものである。

 

この三連休、というか金曜夜からはかなり神でスペースをしたり恐竜図鑑とメキシコ展にいったり、のんびりわっしょいをみたり、鈴木仁のサイン会にいったり、君たちはどう生きるかをみたりした。完璧。

 

メキシコ展はエジプト展だと思ってたからなんでマヤ文明の話してるんだろう?とか思ってて、途中で間違えた!って思った。でもマヤ文明もたのしかった。

メソアメリカでは人身御供が当たり前だったみたいだけど、正直神様に人間の価値が通用すると思って人間を捧げるから、、!って思ってるの理解できないなー。神様からしたら別に人間あげる!っていわれてもいらんがなとしか思わないだろ。

 

恐竜図鑑は恐竜と草木、背景と対象物の観点を得た。2時間みたらどういうかきかたをするとどういう風に視線の操作ができるのかなんとなくわかるようなきがした。絵でも対象物にピントを合わせて背景をぼかすという手法が使われていることに初めて気が付いた。

 

鈴木仁のサイン会

鈴木仁がめちゃくちゃかっこよかった。正直のりでいったので、全然準備してなかったんだけど瞳がキラキラしていてめちゃくちゃ大きくて出目で、顔が小さくて、かつ鈴木仁は座っていて私は立っているから上目遣いという神回だった。でもブースに何の仕切りもないから恥ずかしくて何にもできなかった。レポが全然流れてないなと思ったけどレポを流した瞬間身バレするからかとやっと気づいた。

鈴木仁がありえないくらいかっこよくてどわーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!ってなってパニックになりながらふらふらパルコを出たら隣に就活生の時に志望していた企業があって固まった。あんなところにあるんだ。あれは、出社したくない。

鈴木仁目の前にした瞬間あまりのかっこよさに言葉を失い、「なんか。。。難しいですね・・・・。」とかいって鈴木仁に「え?」っていわれた。本当にごめん。でも本当にかっこよかった。かおちっちゃくて目が半分だった。ちゃおだった。

 

そのあと君たちはどう生きるかを見た。

一番端っこの一番前の席で予告ですら何も見えないと思ったのに、始まった瞬間席のことも見にくさのことも忘れて世界に没入した。私は宮崎駿はそんなにちゃんとみていない。おたくはいつもハウルはだれで、耳をすませばの○○はだれで、みたいなことをやっているがあのあたりのことがさっぱりわからないレベルには履修していない。

それでも生き生きとした食事シーンや、鳥の動き、様々なディテールにおいて、これがアニメ界の巨匠なんだと納得せざるを得ない何かがあった。

正直話は理解できなかった。理解できなかったというか、別に話を理解して話が価値を持つものではないだろうと思った。

抽象的で概念だけど間違いなく私に力をくれたし言い表せない感情で胸がぐちゃぐちゃになるような作品で、これをちゃんと劇場で見れてよかった。

ネタバレなど踏んだところで意味もないから今すぐみんな劇場に見に行ってほしい。どんな感情を持ったとしても絶対その感情を持つこと自体に意味があるから!

 

 

わっしょいcamp

内村全然うつってなかったね。

でもラップの歌詞が強気で最高だった。絶対ドームに見に行くね。

今この時間を無料で配信したいジャニーズ事務所ってちょっと変だなと思った。

相変わらず。でもジャポニカスタイルが一番良かったよねー。

 

ここ最近のツイッターにはジャニーズ事務所のことを運営と呼ぶオタクとか、ファンサの内容に文句言って人格否定するオタクとか、自他境界線がめちゃくちゃだったり私が好きになったころのおたくとは全然違う人しかいないんだなと思う。何も面白くない人の何も面白くないネタがばずってるのみるとあーここって私のオアシスじゃなくなったんだーって実感する。まあいいけど。私は私の神様を信じるだけだし。

 

 

2023/06 4週目

今週は比較的過ごしやすかった。

嘘、火曜日は死んでたね。

 

 

水曜日に友達と会って、木曜日にさいむすいって、金曜日にまた友達と会って、やっと回復した気がする。

 

友達、4年あわないとけっこうちがう。

何が違うのかわからないけど、違う。

しゃべり方とか、精神とか、自信をなくしたひともいて自信がついたひともいておもしろかった。

いろいろ違ったけど何年たっても一緒に馬鹿笑いできるひとがこんなにいるのがかなりありがたかったかも。

反応を見るに私は私で破滅の道を歩んでいるっぽかったけどもういいかと思う。

また会いたい。

 

 

さいむすは、うーん。また書くと思うんだけど、本当に好きじゃないな。

いま2回見てるけどもう耐えられない気がする。

 

 

最近は息もできない夏を見てる。

当時リアタイしてて結構ちゃんと見てたと思うんだけど改めてみたら真剣すぎてびっくりした。

こんなに真剣にドラマを作る元気はどこにいったんだろう。

 

最近はこんな感じで咀嚼する力が全然ない。

会社やめたいね。

 

2023/06 3週目

 

 

 

北海道でセクシーゾーンのコンサートを見た。

北海道に行ったのは小学生の家族旅行と中学の修学旅行以来でほとんど覚えていない。小学生の時は富良野洞爺湖に行ったあと熱で寝込んでて、中学生の時は吐くほどジンギスカンを食べさせられて二度とジンギスカンを食べたくないと決意をしたことしか記憶にない。

 

今回は札幌周辺と北海道大学に行った。

札幌周辺は降り立った瞬間意外と殺風景なところが金沢みたいだったけど、歩いていると仙台の緑の多くて空が高くて広い道を思い出した。

すすきのは松竹座周辺みたいだった。

 

北海道大学北海道大学博物館を目的にいった。昔北海道大学は敷地内を自転車で動き回るという話を聞いたことがあったので相当広いんだろうな〜と思っていたらもはや国立公園だった。緑が濃くてみどりというよりあおだった。

もちろん学生は自転車で歩き回っていたが、一般客?の姿も多かった。みんなお散歩しに来ていた。私も近くにあれがあったら毎日お散歩しに行く。

博物館内はいわゆるおばあちゃんのおうちみたいな匂いがした。ここにも一般の観光客ぽい人が結構いて、どの展示も意外と人がいた。

内部の展示は、有り得ないくらい土器があったり、突然ドデカマンモスがでてきたり、アオダイショウの骨格標本があったり、充実しすぎていてこれが無料で許されてることに感謝とか驚きが止まらなくなった。なんかの部屋にユニバーサルを意識してるから無料だと書いてあって、あーなんていい大学なんだろう、現代日本でそんなことあるんだ!となんかほんとにうれしくてうれしくて、ときめいた。

 

翌日はコンサートだった。真駒内セキスイハイムアリーナ。

仙台よりは僻地じゃないがちょっと遠かった。北海道来てきになったのはどこもかしこも20-30分くらい歩くのがデフォなこと。車社会だからなのか、それともよく歩くのかまだ判別がついていない。

 

真駒内セキスイハイムアイスアリーナはなんか汚かった。地域の体育館って感じ。

会場入っても電波が通じるのは嬉しかった。しちっちゃかったけど、うん。

セクシーゾーンのコンサートに行くといつも私が好きなセクシーゾーンはもう二度と現れないんだと思って涙が出てくる。例に漏れず今日もずっと半泣きだった。

そうちゃんは前よりずっと人の顔色を見てなくて、自分が変だと言われてもそれを素直に受け止めていた。それが成長だとわかっているが、私だけがここに取り残されているということに改めて気付かされて途中から呼吸が少し苦しかった。

私は本当にセクシーゾーンのコンサートにもう行きたくないのだ。

いまのそうちゃんをみるとそうちゃんに入れ込んで自他境界線がめちゃくちゃだった高校生の頃の自分を思い出す。それがつらい。

コンサートを見ながら、そして飛行機の中でアセクシャルについて書いてある本を読みながら、自他境界線がめちゃくちゃになった相手がもうひとりいたことを思い出した。それは高校のクラスメイトで。

自他境界線がめちゃくちゃになるくらい人に執着したのも憧れたのもあれが最初で最後だったと思う。

私は性的欲求を伴う恋愛感情が分からない人間なんだけど、もしあの自他境界線がめちゃくちゃになる感情が恋愛感情なら二度と出てこなくていい。

自他境界線をめちゃくちゃにして、話し合って理解し合うことこそが人間に必要なのかもしれないけど私は無理だ。ずっと1本線を引いていて欲しい。

 

 

 

 

 

 

2023/06 2週目

内村と伊藤万理華って似てない?

最近は、何をしていたのかな。あんまり遊んだことのないこと遊んでみたりR&Jを見てみたり、脱毛の最終回を終えたり、仕事で毎日絶望してたりしてた。

R&Jはよかった。本当に良かった!
私が行った回はたまたまたくみが炎上してた回だったけど全然会場で誰もそんな素振りしてなかったのがかなりありがたかった。
青木のマキューシオとキャピュレット夫人もよかった。会社の同期に青木みたいな顔の子いるんだけど、中身もしごできで受容傾向で青木そっくりらしい。
青木はそういうしごできで既存の規範には従いその中でしっかり努力し続けられる人であるというのをその2つからすごく感じ取っていいアイドルだなあと思った。まあグループ内でカップルは大量発生させなくていいけど。
演技がかなりうまかった。
私はもうみちみずのロミジュリのことを思い出せないと思っていたのに、木戸さんのジュリエットを見ているとみずきちゃんのジュリエットが無限に声を重ねてくるのが不思議だった。でもそうやって楽しむのはあまりにも今目の前にいる演者に不誠実だと思ったから2回目見るのはやめた。
でも本当にいい舞台だったと思う。思春期、全寮制男子校、禁じられたロミジュリなどの装置をあそこまでいかしきってるものなかなかみないから。
ちなみに私は夢は彼らの退場と共に終わると思ってる。なんとなく。

木戸さんのジュリエットもたくみのロミオもなんていうか、クラスの隅っこで起きた激情騒動だなと思った。あいつらやべーだけでおわるやつ。

みずきちゃんの時はジュリエットの言葉の全てが間違いなく自身の意思から生じているものだと感じ取ったのに、木戸さんからはまだなにか抑圧を感じた。それはたぶん禁止という装置のせい。

松岡和子のジュリエットは誰が演じてもわがまま真っ直ぐ人間になると思ったからそうじゃないことにかなり驚いた。藤野涼子はどんなジュリエットを演じるんだろう。楽しみ!

 

 

 

あとはなんだろう。村田沙耶香の信仰をよんだ。最近は村田沙耶香をよく読む。村田沙耶香の本はいつもヤバくて、でもヤバいと思った私がヤバいという話だから。信仰とこないだ見た怪物を照らし合わせるとなにかちゃんときづけそうなきがするけど、今はまだ分からない。
怪物は、うーん。私は好きじゃなかった。というか、子供パートは好きだったけどそれまでがつらかった。子供パートになった瞬間わたしは星川よりのオタクになりたいなあと思ったんだけど星川よりは劇中小5なのでさすがにそれは無理だった。でも星川よりだいすき。
マジョリティが気持ちよくなるためのマイノリティ描写というのは本当にその通りで、でもその一方で彼らがクィアだから除外されていると言うよりなんかもっと、クィアを含んだ上で除外されてるような気もしたから批判がよく分からなくなった。この辺の反省もいかしていまはアセクシャルの本を読んでる。
私は理解者ぶってるけどなんにもわかんないんだよね本当は。わかんなくて、何からも脱せてないわがままこども。まあわがままこどもであることを恥じてはないけど。何も理解していないことは恥じている。常にありとあらゆる人のことを想像して理解したいとは思ってる、実際できるかは置いておいて。

私は異性愛者で男性蔑視をしていて性嫌悪だと思ってたんだけど性愛者ってパートナーに性的欲求を持つことらしくて、私はそれわかんないから、異性愛者でもないんだって初めて知った。でも、だとしたら私の男友達がほしいって欲求はどこから来てるんだろうね。夢見すぎなんだろうね。

会社は同期がみんな辞めたくなってて安心した!愚痴言わないと思ってた子から愚痴が飛び出すのがうれしいー、最悪人間。部署の人間のことは全然好きじゃないし怖いし意味がわからないし人の心がないと思ってるけど、少しは言語が一緒な人いるのかもって思ったら嬉しかった。
にしても、私の部署は他の人から見てもやばいらしい!!知らなかった。私がやばいのではなく、いやそれもあるが私と部署の局地的なやばさが合成されて現在の様子になってるぽい。あと同期に私の失注を期待された。分からんでもないからうけちゃった。
仲良い人も私が何をしていてどんな人間なのかも可能な限り知られたくない、話通じるならいいけど通じないし。
私は必死に営業しないと買ってもらえないのならそんな企業潰れてしまえと年がら年中思っているのでそんな人間が営業をやるべきではなかった。なんで嫌なの?って聞かれて人のことを数字としてみていて、人としてみていない上に人が嫌がる事をやっているからっていったらわからなくもないけど俺は数字としてみているのではない、自分が契約取れた時の喜びの方がそれに勝るといっていて、それを数字として見てるって言ってんだよって怒るところだった。怒らなかったけど。
多分私じゃなくて上司の方がもうだるくなってるんじゃないかな?でも私は曲げる気ないよ。私の指針を曲げてまで働かない!そうなることを期待するな頼むから。私はやっと私がどんな人間でどうやったら自分のこと好きになれるか掴めてきたのにそう簡単に手放してたまるか!ばーか!

 

私が仕事において嫌っているのは、現状の加害性の高い業務内容と特権に無自覚な人間であり、労働は虚しいけれどきらいじゃない。でも加害性と労働を切り離さないと仕事に向き合えないし、全てにおいてお金が先行するのが許せない。営業に属するということはこの辺りへの反抗は許されないだろうが。だから困ってる。私は自我を手放す気もないけれどあと1年はこの会社にいなきゃいけない。もっとちゃんと考えてこたえをださないと。毎週結論が一緒だね。どうしようか。

 

2023/05 4週目

今週 記憶がない。

日報を書いている時も思ったが今週は本当になんにも、なんにも覚えてない。なんなんだ。

 

ぬいぐるみとしゃべるひとはやさしいをみた。

すごいわかるけど、最後のしらきのむぎとちゃんたちはすごくやさしいから私はぬいぐるみとしゃべらないっていうのが、1番胸に来た

自分が踏み潰してきたものに自覚的になる瞬間がいちばん怖いよねー

最初のむぎとちゃんの主人公への話しかけ方めちゃくちゃなんか自分みたいだった あの距離感を探り探り傷つけたくないけど無鉄砲ぽい感じが

あと鴨川の飛び石出てきて嬉しかった

 

うーんあと何かあったかなあ。ないかも。

内村のダンスクの話見てちょっとショックだった、全部に。

自分のことバカって言うようになったのが一番ショックだ。バカじゃないのに。バカって言わないで。

 

なんかやっぱり労働が許せないんじゃなくて会社とかあの会社にいる人が許せないんだと思う。大学院のこと調べなきゃ。